歴史と由緒
本殿は福島県郡山市西田町に鎮座する神社。
旧社格は村社。
巨大な岩に飲み込まれるような形で建つ独特な社殿は、我が国でも極めて稀であり、貴重な存在でございます
田村郡はその昔坂上田村麻呂が征夷大将軍にまかせられ蝦夷征討(東北地方)遠征の際に、滞陣(同じ場所に長く陣取ること)した地といわれ、田村麻呂に関わる説が多くあります。
延暦10年(791年奈良時代) 坂上田村麻呂が東征の時、京都の藤原氏若狭太郎という武士が守護神の日吉大権現(現在の山王日枝神社の御祭神)を背負って従軍し、東奥を悉く平定(力によって従わないものを圧倒して平和をもたらすこと)しました
後に田村麻呂は帰朝(798年平安時代)しましたが、若狭太郎は当地に土着(その地に住むこと)して延暦19年にこの山王山に選び、守護神を安置し、岩神社山王大権現と崇めたのが始まりと伝えられています
後の明治2年からこの神社を山王日枝神社と称しました